子どもたちとの日常を
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ここ数年の私の中のテーマ
息子は
同じく、娘と私はどちらなのか。
最近息子が
「自分、HSPなんだと思う。
最近動画とかで流れてくる
HSPの特徴のとか見てるとさ
あ~、当てはまる
ってことだらけだなぁって思う」
と、初めて自分から口にしたので、私の見解を書いてみようと思います。
例えば
HSPの特徴とされている繊細な感覚
と
発達障害の感覚過敏
また、HSPの人が刺激過多により注意欠如、多動のような落ち着きのない状態になり、発達障害のように見えることや
反対に、発達障害の人が、失敗体験から周囲の反応を気にし過ぎるようになり、HSPのように見えるということもあり
発達障害の診断を受けていたけれど
実はHSPだった
自分はHSPだと思っていたけれど
実は発達障害だった
ということも実際にあるようです。
こちらの本では、HSPが発達障害の影響を受け似ていく…
という仕組みも書かれています。
息子はADHDの失敗体験から周囲に敏感になっていったのか。
それとも
もともと持っているHSCの敏感さから、刺激過多でADHD、ASDのような状態になっていったのか。
4年前、息子のチック症状が爆発的に悪化し、病院の予約も取れずに途方に暮れていた頃
私はこちらの本を読んで、息子はHSCではないかと考えていました。
息子のチック症状についてはこちらをご覧ください
しかし、後に精神科でADHD傾向を指摘されたことで、息子にはADHD傾向があるものとして向き合うようになりました。
ADHD特性でもHSP気質でも
意外とつじつまが
合ってしまうのです(笑)
同時に、私自身の過去も、元にADHD特性があり、失敗体験から周囲の反応に過敏になっていったんだろうと振り返るようになりました。
ところが、考えれば考えるほど膨らむ違和感…。
ADHD特性を元と考えるか、HSC気質を元と考えるかで、子どもたちに合う対策も変わってくるし、自分自身の視点も変わってくるので、ADHDなのかHSCなのかというのは私の中の大きなテーマでした。
精神科に通院するようになってから1年ほど経過した頃、息子が「友達との会話に不快感を感じる」という話を先生にしたところ
チック症状が出る人には
実はADHDとか、発達障害といわれるものを
持っている人がけっこう多いんです。
と、ADHDの冊子を渡されました。
障害って言葉を聞くとびっくりしてしまうかもしれないけど、本人が、社会生活で困ることがある、そういうことを障害と呼ぶんだよ。と息子に丁寧に話してくれました。
先生がくれた冊子を読んで
「めっちゃ〇〇じゃん!!」と、息子と二人で思わず爆笑。
病院で行った特性チェック(?)の点数は、ギリギリ診断基準を下回っていたのですが
点数はギリギリ届いてないんですけど
これだけの点数が出てるってことは
本人は、やっぱりかなり生き辛さが
あると思うんですよね
それがチック症状に出てしまっている可能性が高いということで、ADHD治療薬のストラテラを試してみることになりました。
なるべく無理をしない生活を送る中、落ち着いて過ごしている息子を見ていると、言動が改善していっているというより、元に戻っていっているという感覚の私は
息子はADHDなんだろうか?
このままADHD治療薬を服用することが
正しいんだろうか…?
と、葛藤するようになりました。
しかし、チック症状と発達障害は密接だということ、そして、ADHDではなくHSCだと考える場合、ADHD治療薬は使えないというお話は聞いていましたし、辛いチック症状が改善する可能性があるのなら、薬を続けてみたい気持ちもありました。
不注意優勢のADHDと診断され、言語化が苦手、切り替えが苦手、ASDよりの「共感性の欠如」の特性が出ているのではないかと医師に指摘された息子。
息子が「つまらない」と、自分だけ取り残されたような寂しさを感じてしまったのは、共感性の欠如なのだろうか?
相手を優先して譲ることが多く
他人を悪く言わない子だったこの子が?
よく考えてみると、チックが爆発するまでは
とくに切り替えが苦手には感じなかったし
言語化が苦手と感じることも無かった。
「わかんない」
と 連発するようになったのは、チックが爆発してからだ。
考えてみれば、精神科に通い始めた当時は
自分の症状に混乱しているし
心が傷付いているし…
息子にしてみれば、大人に質問されることに
嫌悪感だらけだったんだよな…
クラスの空気になじめずチック症状が現れ、敏感だからこそ、自分自身のチック症状も気になって悪化していったのではないか…
それをきっかけに心無い言葉を受け、チックが爆発したのではないか…
そんな思いが募っていきました。
やっと自分の中でしっくり来たのが
”感覚”を理解してもらえないもどかしさ
気持ちを言語化できないのではなくて、表現しても、その”感覚”を理解してもらえないことへの諦めなのではないかということ。
「気にしすぎだよ」
「真面目だね~」
という言葉をかけられるのが嫌だった。
どーせ話したところで
返ってくるリアクションは
分かり切っているし
自分の気持ちに蓋をする癖がついた。
普通の人はこんなこと気にしないんだ。
普通の人はこんなことで傷付かないんだ。
心が弱い自分がダメなんだ。
気にしすぎないように
傷つかないように強くならなきゃ。
自分のおかしい感覚は人には見せないように強く。
分かってもらえない自分の感覚がおかしいんだって。
みんな”普通”にできてるんだから、自分もできるはず、って。
私自身がそんな風に思ってきた。
だから、子どもたちが自分のように苦しまないように、強い心に育ってほしいと望んだ。
強い心を…その思いが息子を追い込んでいった。
「気にしすぎ」
「考えすぎ」
私自身が苦しんできた言葉。
それなのに、息子に何度も言ってきた。
きっとその度に息子は
”かーさんは分かってくれない”
”言っても無駄”
という思いを募らせていたんだと思う。
クラスメイトに分かってもらえない
先生に分かってもらえない
そんな感覚を
”かーさんには分かってほしい”
そう思っていたはずなのに。
安心したかったはずなのに。
私は、子どもたちに弱い自分を悟られないように
〇〇なら大丈夫
と言いながら
”強くなりなさい”
というメッセージを送り続けてしまった。
その結果、息子の心は限界になってしまったんだ。
息子がこんなに苦しんだのに、私は娘にも間違ったメッセージを送り続けていた。
だから娘の不安も満タンになった。
そして不注意、衝動性(家族に対して)が目立つようになった。
娘は、そんな自分に更に不安になっていくという悪循環。。
そしてパニック発作が起きるように…。
そう考えると納得。
とても しっくりくるのです。
息子は、病院の先生にADHD治療薬を飲んで感じる変化について質問されても「分からない」と答えていました。
それを先生は”言語化できない”と捉えていて。
しかし、息子にしてみれば、薬を飲んで頭がスッキリとか、とくに何が変わったとか、本当に感じてなかったから「分からない」としか答えようがなかったのだと言います。
そんな息子を見ていて、やはりHSC気質が元にあるという視点で息子と娘、そして自分自身と向き合っていこうと思うようになりました。
その結果、子ども達や自分のことを理解しやすくなりました。
しっくりくるように!
HSPのようでもあるし、発達障害のようにも感じる…
そんな悩みを抱える方の、少しでも参考になってくれたら幸いです。
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